出典: amazon.co.jp
マタヌスカです。
3/29、自宅で仕事をしていると『トゥルル〜♪』の音がなり臨時速報が。この音は大抵録でもない事を伝える音…
地震か?事故か?コロナウイルス関連か?
そんな事を思いながら、テレビ画面をみていると『志村けんさん死去』と文字が映し出されていた。
私はアメリカで志村けんに救われた
私は10年以上アメリカで暮らしていた事がある。
渡米直後、まだ留学生だった頃。クリスマス休暇中、楽しみにしていた日本への里帰りが突如キャンセルになってしまった事があった。
ガックリ来ている私を他所に、ルームメートや友人達は意気揚々とクリスマス休暇を家族と過ごす為に家に帰っていった。
あっと言う間に広いキャンパスは閑散とし、すれ違う人すら居ない状態に薄気味悪さを感じ、自室にこもって過ごした。
異国の地、未だ乏しい英語力、家族、友人がそばに居ない…そんな状態が2週間ほど続き、私は孤独と寂しさで気が狂いそうになっていた。人が恋しい、誰かと話がしたい。孤独で死ねる…と本気で思ったりした。
ある日、ふと休暇前に日本人の友人が貸してくれたビデオテープがあった事を思い出し、中身が何かもわからぬまま、それをデッキに差し込んでみた。
とにかく人の声、日本語が聞きたい!と思いながら待つこと数秒。
画面に『バカ殿』が現れて『アイーン』と言った。
全くの予想外だったバカ殿の出現に私は1人で馬鹿みたいに笑い転げた。そして泣いた。
バカ殿を見て笑った故郷が懐かしくて、一緒に笑った家族が恋しくて… お笑いなのに思いっきり泣いた。
泣きまくった後、『バカ殿』を見ては笑って、また泣いて。そうやって休暇が終わるまで、バカ殿と過ごした。
あの時、もしもバカ殿が居てくれなかったら、多分私は自殺未遂くらいはしていたかもしれない。それくらい孤独に苛まされていたと思う。
志村けんさんは、きっとこうして色々な人へ笑いを届ける事で、広い世代の沢山の人の人生に関わってくれた人だったんだろうと私は思う。
そして最後は、100年に一度あるかないかのパンデミックの犠牲になる事で、色々な人に沢山の事を感じさせてくれている…そんな風に思う。
志村けんさん。
あの時バカ殿で私を笑わせてくれてありがとう。
ご冥福をお祈りします。